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常温小型核融合炉の実現に関する研究の最新状況

要約したものも載せておきます

要約

  1. 核融合の原理と物理学的背景 通常の核融合(熱核融合)は高温・高圧環境(数百万度以上)で発生するが、常温核融合(低温核融合, LENR)は室温付近で核融合が起こるとされる現象。 1989年のフライシュマン=ポンズ実験で注目されたが、再現性が低く主流科学界から否定された。 低温核融合が起こるとされる仮説には量子トンネル効果、電子遮蔽、ミューオン触媒、ナノ構造効果などがあるが、確定的な理論は未確立。
  2. 現在の研究状況 理論研究: 量子計算やナノ材料科学を活用した理論探求が進むが、確立されたメカニズムはない。 実験研究: 電気分解法(パラジウム重水素系): 過剰熱報告ありだが再現性が課題。 ガス吸収法(ナノ粒子金属): ヘリウム生成の報告があり、企業も関心を示す。 外部刺激(レーザー・高周波・超音波): 反応促進の可能性を探る。 元素変換実験(三菱重工・トヨタ中央研究所): 再現性の高い実験も報告。 試作開発: クリーンプラネット社(日本)、ブリルアイン・エナジー社(米国)などが小型デバイス開発中。
  3. 技術的課題 クーロン障壁問題: 低温で核融合を起こす理論的説明が不足。 再現性の低さ: 同じ条件で実験しても成功率が低い。 エネルギー出力の小ささ: 実用炉レベルの発熱には至っていない。 放射線や生成物の不確実性: 通常の核融合とは異なる核生成物の報告があり、安全性・理論の説明が必要。 材料・工学的課題: 反応が起こる場の特性を解明し、持続運転を可能にする必要あり。
  4. 世界の研究動向 米国: 2022年からDOE(エネルギー省)やARPA-Eが資金提供し、本格的な研究再開。NASAやDARPAも関心。 日本: 三菱重工・トヨタ・クリーンプラネット社などが研究継続。東北大学で産学連携研究進行中。 欧州: エアバスやSTマイクロエレクトロニクスが研究参入。EUプロジェクトも開始。 中国・ロシア: 一部研究ありだが大規模プロジェクトは不明。 結論 理論未確立、再現性不足、エネルギー出力不足が主な課題。 近年、世界的に研究再開・再評価の動きあり。 小型常温核融合炉の実用化はまだ遠いが、基礎研究と試作開発は続行中。

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核融合の原理と物理学的背景

高温での核融合(熱核融合): 原子核同士の核融合反応を起こすには、正に帯電した原子核同士のクーロン斥力(静電的な反発)を乗り越える必要があります。そのためには極めて高いエネルギーが必要で、太陽や恒星では数百万~数千万度の高温と高圧によって水素同位体の核融合が進行しています。地上の人工的な「熱核融合」実験でも、核融合燃料(重水素・三重水素など)のプラズマを数億度に加熱し、十分な密度と閉じ込め時間を確保することで核融合反応を起こそうとします​​。現在主流の核融合炉研究には、磁場で高温プラズマを閉じ込める磁場閉じ込め方式(例:トカマク型炉のITER計画)や、強力なレーザーで燃料ペレットを圧縮加熱する慣性閉じ込め方式(例:NIF<国家点火施設>)があります。これら高温核融合では巨大な装置と莫大なエネルギー投入が必要ですが、2022年末には米国NIFで投入エネルギーを上回る核融合エネルギーを一瞬得る「点火」が達成されるなど前進が見られます。ただし高温核融合炉は依然開発段階であり、安定的な発電実現にはなお多くの課題が残っています。常温核融合の発想: これに対し、室温付近の低温で核融合を実現できれば、小型で安全・低コストな「常温核融合炉」が可能になるという夢があります​。常温核融合(低温核融合、凝縮系核反応とも呼ばれる)は、室温から数百℃程度の温度帯で水素原子核同士が融合するとされる現象のことです​。核融合反応は本来は数億度の高温環境で起こるため、常温で核融合が起きるとすれば現代物理学の常識を超える特別なメカニズムが必要です。1920年代から「金属中に水素を吸蔵させると核融合が低温でも起きるかもしれない」という仮説が存在し、1950年代には「コールドフュージョン(常温核融合)」という語も使われていました​。1989年3月に英米の研究者フライシュマンとポンズが「室温の重水(D₂O)中でパラジウム電極に電気分解で重水素を吸収させたところ通常の化学反応熱を超える発熱と、中性子や三重水素の生成を検出した」と発表し、一時「夢の新エネルギー」として世界的に大きな注目を集めました​。しかし、このフライシュマン=ポンズ実験は追試の再現性が極めて低く、当時の理論では説明困難だったこともあり、ほどなく「誤測定か幻想の産物」として主流科学界から否定されました。その結果、常温核融合は「20世紀最大の科学スキャンダル」とまで呼ばれ、研究は下火になりました​。低温で核融合を起こす理論的アプローチ: 常温核融合が起こり得ると主張する研究者たちは、いくつかの仮説を提案しています。その一つは量子トンネル効果の利用です。原子核同士は近づく確率が極めて低いものの、量子的な確率過程としてごく稀にトンネル現象で融合する可能性があります​。実際、恒星内部の核融合でも量子トンネル効果が融合確率を支えており、絶対零度に近い低温でもトンネル効果自体は起こり得ます。しかし通常の室温エネルギーで原子核が融合する確率は極めて小さく、見積もりでは観測された過剰熱を説明するには50桁も足りないとされています​。そこで、金属内部に水素を吸蔵した場合に格子中の電子による遮蔽効果で実効的なクーロン障壁が下がり、低エネルギーでも融合確率が上がるのではないかという説があります​。例えばパラジウムは自重の数百倍もの水素を吸収できるため、高い水素化物密度と電子による部分的遮蔽で水素同士の距離を縮められると期待されました​。しかし専門家による評価では、「電子遮蔽で障壁が下がっても理論的には桁違いに融合率が不足しており、現在の物理学で説明がつかない」など否定的な見解が示されています​。もう一つのアプローチは、通常とは異なる粒子を介して核融合を起こす方法です。典型例がミューオン触媒核融合で、負電荷を持つ重粒子であるミューオンを使うと、ミューオンが水素核に付着して有効距離を縮め、極低温でもD-D核融合が起きることが知られています​。実験的にも液体水素中でミューオン触媒融合は確認されていますが、ミューオンを生成するのに多大なエネルギーが必要なためエネルギー収支はマイナスです。それでも「格子中でミューオンのような触媒的役割を果たす未知の粒子や状態があるのではないか」という仮説も提唱されています​。その他にも、凝縮した重水素の多体同時融合(例えば正四面体凝縮TSCモデル: 4原子の重水素クラスターが量子的に一挙に融合する仮説)​や、金属中で超重電子が中性子を生成して起こる核反応(ウィドム-ラーセン理論)​、核融合で生じる高エネルギーを即座に格子振動(フォノン)に変換してしまうモデル​など、様々な理論モデルが検討されています。しかし現時点で提案されたどの理論も全ての実験結果を説明できておらず、決定的な理論は確立していません​。つまり常温核融合の物理メカニズムについては、依然として統一的な理解が得られていないのが現状です。

現在の研究状況

理論研究の進展: 常温核融合(低エネルギー核反応, LENR)に関する理論研究は細々と続けられており、近年はナノ材料科学や量子計算を取り入れて現象解明を試みる動きがあります。研究者コミュニティも「凝縮系核科学 (CMNS)」などと名称を変えて、新たな視点から現象を捉え直そうとしています​。例えば「核反応は金属表面近傍のナノスケール構造が関与して起きる現象ではないか」との見解があり、材料の微細構造と核反応の関係を理論的に探る研究が進んでいます​。実験で観測される特徴(発生場所が電極表面近くだと推定されること、生成物にヘリウムや特異な同位体比の元素変換が含まれること、発生する核放射線が少ないことなど)を説明しようと、前述のように複数のモデルが提案されています。しかし各モデルは一部の現象に説明を与えているにとどまり、全体像として広く合意された理論には至っていません​。そのため現在も理論的な模索は継続中であり、実験結果を踏まえつつクーロン障壁を低減する新奇な物理機構の有無が検討されています。実験的アプローチの現状: 理論解明が難航する一方で、実験的には世界各地の研究者が様々なアプローチで常温核融合現象の再現と制御を試みています。典型的な手法として以下のようなものがあります。

  • 電気分解による重水素装荷: フライシュマンとポンズの手法にならい、パラジウム電極に重水(D₂O)の電気分解で重水素を吸蔵させる方法です。現在も多くの研究で採用され、過剰熱(投入エネルギーを超える発熱)やトリチウム生成の有無が詳しく調べられています。電極材料や表面処理、通電プロトコルなど工夫を凝らした結果、一定の再現性で過剰熱を得たという報告もいくつか出ています​。例えば日本の神戸大・大阪大のグループは荒田洋二氏が開発した装置の追試を行い、2009年に国際誌に成果を報告しています​。過剰熱は典型的には電極表面1平方センチメートルあたり0.1~1W程度と小さいものの、わずかではあっても「通常の化学反応では説明困難な余剰エネルギー」が検出される場合があるとされています​。
  • ガス吸収(ガスローディング)法: 金属粉末やナノ粒子に高圧の水素または重水素ガスを吸収させて核反応を誘起しようとする方法です。固体中の水素濃度を電気分解より高く均一にでき、発熱反応を連続的に観察しやすい利点があります。大阪大学の荒田らはパラジウム微粒子と酸化ジルコニウムからなる複合材に重水素ガスを吸蔵させ、大量のヘリウム-4生成と発熱を報告しました。この手法は海外でも注目され、スタンフォード大学の最近のプロジェクトでも「ナノ粒子金属に重水素ガスを吸着させてLENRを検証する」という実験が計画されています​。
  • Ni-H体系(軽水素系LENR): パラジウム-重水素より入手容易なニッケル-軽水素系でも異常発熱が起こるとの報告があります​。イタリアのエンリコ・フェルミ大などで研究され、1990年代にはニッケルと水素ガスでヘリウム生成を伴う発熱が報告されました。また2011年にはイタリアのアンドレア・ロッシ氏がニッケル粉末に加圧水素を吸収させた装置「E-Cat」の公開実験を行い、大きな余剰熱を得たと主張しました​。このE-Catはニッケル中で軽水素が核変換を起こし銅に変わることで熱放出するという触れ込みでしたが、第三者による独立検証がなく信頼性に疑問が投げかけられています​。ロッシの装置はその後も改良版が発表されましたが、「独立した再現試験がなく、査読論文も皆無」であり、2012年時点で「ロッシの突飛な主張は完全に反証されたように思える」と指摘されています​。
  • 外部刺激の活用: 常温核融合反応を誘起・増強するため、各種の外部刺激を与える試みもなされています。例えばレーザー照射による刺激実験では、パラジウム重水素系の電極に特定波長のレーザーを当てた際に過剰熱が増大したとの報告があります。最近の米ミシガン大学の研究でも、重水素ガスを吸蔵したパラジウム試料にレーザーを照射し過剰熱発生と放射線を高感度測定する計画が進められています​。また高周波・マイクロ波を照射して金属中の水素振動を励起し反応を誘う試み、あるいは超音波によるキャビテーション気泡の瞬間高温を利用した「音響核融合(バブル融合)」の研究も行われました。これらはいずれも核融合反応を起こすトリガーを人工的に与えるアプローチですが、確定的な成果には至っていません。とはいえ一部には、「一定の周波数の振動を与えると再現性が向上した」といった観測結果も報告されており、外部刺激が鍵となる可能性も検討されています。
  • 高圧・高密度環境の利用: 水素を金属中に極限まで溶けこませるため、高圧力下や超臨界流体状態での実験も模索されています。水素そのものを金属的状態にする試み(メタリック水素生成)や、超臨界状態の重水素を用いて拡散を促進する工夫など、極限環境下で核融合を誘発できないかという研究です。これらは技術的難易度が高く大きな成果は出ていませんが、「核融合反応が起こる閾値条件」を突き止める上で重要なデータを提供する可能性があります。

上述のように、実験アプローチは多岐にわたりますが、総じて言えることは「材料のナノ構造制御」と「適切な外部刺激・条件制御」が再現性向上の鍵と考えられている点です​。特にナノ粒子や表面ナノ薄膜などナノ構造化した金属試料では過剰熱発生の再現性が高まるとの報告が増えており​、企業や大学の研究ではナノ材料開発と組み合わせた実験が増加しています。また、日本の三菱重工業・岩村グループによる元素変換の実験では、パラジウムに重水素を透過させることでセシウムからプラセオジムへの核種変換に成功したとされ、その手法はトヨタ中央研究所などでも追試・継続されています​。元素変換反応は発熱が小さいものの核反応の痕跡として注目され、再現性も比較的安定していることから(100%との報告もあり​)、エネルギー放出現象の検証手段として研究が続けられています。実用化の兆しと試作開発: 常温核融合の実用化については、現時点で商用の炉や発電装置は存在しません。しかし試作レベルのデバイス開発に取り組む企業や研究プロジェクトはいくつかあります。前述のロッシ氏のE-Catは商用製品化を目指した試みでしたが、独立検証がなく信用性に欠けるため実用技術とは見做されていません​。一方、日本では2015年に東北大学とベンチャー企業の株式会社クリーンプラネットが共同で「凝縮系核反応によるクリーンエネルギー研究開発センター」を設立し、小型実験炉の開発とエネルギー応用を目指した研究を開始しました。このプロジェクトでは「飛躍的にクリーンかつ安全なエネルギー生成技術」を開発し社会実装することを掲げており、実験室レベルで数百ワット級の連続発熱装置の実証を目指しています。クリーンプラネット社は2020年代後半までに実用炉を開発する計画を打ち出しており、現在も東北大学内の研究部門でプロトタイプ炉の研究が進められています。米国でも、カリフォルニアのブリルアイン・エナジー社などがパイロット装置(ボイラーへの組み込みを想定したLENR発熱デバイス)の開発を公表しています。さらに米エネルギー省ARPA-Eは2022~23年にかけて、スタンフォード大学やMITなどに資金提供し「再現性のあるLENR実験プラットフォーム」の構築を目指すプロジェクトを開始しました​​。ARPA-Eディレクターは「本当に有望か、あるいは否定できるのかを見極めたい」と述べており​、政府主導で常温核融合の実用可能性を客観的に評価する段階に入りつつあります。これらの動きは、かつて否定された常温核融合が持つ潜在的価値に再び注目が集まり、慎重ながらも実用化への期待が高まっている兆しといえるでしょう​。

技術的な課題と障壁

現時点で常温小型核融合炉の実現には数多くの課題が存在します。主な技術的・科学的障壁を以下にまとめます。

  • 物理的な壁(クーロン障壁問題): 基本原理の節で述べた通り、低エネルギーで原子核同士を融合させること自体が物理学的に非常に困難です。量子トンネル効果による融合確率は極めて低く​、現在提唱されているどの理論モデルでも必要な融合反応率を十分に説明できていません​。言い換えれば、「なぜ常温で核融合が起こり得るのか」という理論的な根拠が未確立であり、この根本問題を解決しない限り装置設計の指針も定まりません​。
  • 再現性の低さ: 常温核融合実験では、ある研究者グループでは過剰熱や核種生成が観測できても、他のグループが同じ手法で再現できないケースが多々ありました。改良が進んだ現在でも完全な再現性は確保されていません。過剰熱発生の再現率は高くても60%程度との報告があり​、条件設定にわずかな違いがあると現象が消えてしまう繊細さがあります。この再現性の低さは科学的検証を難しくし、装置の信頼性や制御性にも直結する大きな課題です​。原因として材料表面の微妙な差や不純物、実験手順の違いなど様々考えられますが、確たる理由は解明されていません。
  • エネルギー出力・効率の問題: 仮に常温核融合反応が起きていたとしても、観測されるエネルギー出力は現状では小規模です。典型的な過剰熱は数百ミリワット~数ワット程度で​、大きい例でも10W前後、極めて稀な報告で1000W/cc相当とされています​。後者のような高出力報告には懐疑的な見方もあり、安定持続的に大量のエネルギーを取り出せた例はありません。実用炉とするには、安定的にキロワット~メガワット級の出力を高効率で得る必要がありますが、そのようなエネルギー増幅(ゲイン)はまだ達成されていません​。これは装置設計のみならず、「本当に核融合によるエネルギーなのか」を疑わせる要因にもなっています。
  • 核反応生成物と安全性: 通常の核融合反応(例えばD+D反応)では、高エネルギーの中性子やγ線、副生成物のヘリウム3やトリチウムが生じます。ところが常温核融合の実験報告では、中性子やγ線が予想より桁違いに少ないか検出されないことが知られています​。例えば生成中性子数は熱核融合の理論予測を7桁以上下回り、γ線もほとんど観測されないケースが大半です​。代わりに生成物としてヘリウム4や、核種変換による様々な元素(しかも天然存在比と異なる同位体比での元素)が検出されたとする報告があります​。このような通常の核融合反応とは異質な生成物パターンは、現象の解明を一層困難にしています​。放射線がほとんど出ない点は安全性の面では有利ですが、逆に「核反応が起きていない有力な証拠」と批判される原因にもなっています​。将来的にもし大出力の常温核融合炉が実現した場合、本当に中性子などの有害放射線が出ないのか、出るとすれば遮蔽や安全管理をどうするかも重要な課題です。現在のところ実験では微弱な放射線しか観測されていないため安全性上の深刻な問題は起きていませんが、これは裏を返せば依然反応出力が小さいことの表れでもあります。
  • 制御性と持続運転: 常温核融合現象が仮に発生しても、それを任意に開始・停止し、出力を調整するといった制御は極めて難しいと考えられます。実験では、電解を停止した後になっても試料が発熱し続ける「死後の熱」の報告があるなど​、現象が予測不能な振る舞いを示す場合があります。これは炉の制御や緊急停止、安全設計上のリスクとなり得ます。また一度起きた現象が次回も同じ条件で再現する保証が無いことは、連続的な運転(発熱反応の持続)を維持する上で致命的です。持続運転のためには、反応が起きるサイトを材料内に多数用意し、反応が減衰しないよう環境条件を最適化する必要がありますが、その具体策はまだ見出されていません。
  • 材料・工学的課題: 核融合反応が起こる場である金属材料は、水素吸蔵に伴う膨張や脆化、微細構造の変化を起こします。繰り返しの吸放出や加熱冷却によって材料特性が劣化し、反応効率が低下したり装置寿命が短くなったりする可能性があります。例えばパラジウム電極は重水素を長時間吸蔵すると表面にクラック(亀裂)が入ることが知られており、これは一説には反応に寄与すると同時に再現性低下の原因とも言われます​。工学的には、どのような材料・構造が最適か、反応サイトを維持するにはどうするか、冷却やエネルギー回収をどう行うか、といった設計上の課題が山積しています。
  • 科学界からの信頼性・資金確保: 常温核融合研究は1989年の挫折以来、長年にわたり主流科学界からは懐疑的な目で見られてきました。そのため研究費の獲得や学術誌への発表が困難であり、多くの研究者が継続を断念した経緯があります​​。現在でも一流の査読付き科学誌に掲載される事例は少なく(皆無ではないものの)、研究者のキャリア上のリスクもあって人材育成も進みにくい状況です​​。こうした「世評の壁」により、常温核融合は十分な資金と人員を投入した大規模研究が行われにくい分野となっています​。ケンブリッジ大学名誉教授のヒュー・プライス氏は2022年の論文で「常温核融合が気候問題解決の切り札となる可能性を秘めながら、30年前の失敗ゆえに評判の罠(reputation trap)に陥り過小評価されている」と指摘し、偏見なく真剣に検証することの重要性を訴えています​。もっとも最近では脱炭素社会への関心の高まりから公的機関も再検討を始めており​、この障壁は徐々に低くなりつつあるかもしれません。

以上のように、常温小型核融合炉の開発には科学的・技術的・社会的な多重の課題が横たわっています。まずは「現象が実在するのか」「再現性良く起こせるのか」という検証段階でつまずいており、仮に現象が確かであっても、それを制御・拡大して実用エネルギー源とするまでには長い道のりが予想されます。しかし一方で、もしこれらの課題を克服できれば放射性廃棄物も出さず、安全で分散型のクリーンエネルギー源となる可能性があるため、少数ながら世界中で研究が続けられている状況です。

世界各国の研究動向

常温核融合(LENR/凝縮系核反応)の研究は、細く長く続けられてきたものの近年になって再び活発化してきました。現在、欧米や日本を中心に産学官それぞれの立場から研究開発が進められています​。主な国・機関の動向を以下にまとめます。

  • アメリカ合衆国: 冷戦終結直後の1989年当時、米国エネルギー省(DOE)は常温核融合に否定的評価を下し大規模支援は行いませんでした。しかし近年になり状況が変わりつつあります。2021年、DOEの高等研究計画局ARPA-Eは「低エネルギー核反応ワークショップ」を開催して産官学の専門家を集め、この分野の停滞打破に乗り出しました​。さらに2022年には1,000万ドル規模の国家プロジェクトを立ち上げ、2023年2月に参加チーム(MIT、スタンフォード大学、ローレンスバークレー国立研、ミシガン大学、テキサス工科大学、Energetics社、Amphionic社)を発表しました​。これは常温核融合研究に対して米政府が数十年ぶりに本格的資金提供を行った例であり、注目されています。またDARPA(米国防高等研究計画局)も2010年代初頭に約338万ドルの予算で関連研究を支援しており​、米海軍研究所(NRL)や海軍スペース・アンド・ネーバル研究所(SPAWAR)でも1989年以降細々と研究が続けられてきました​。航空宇宙局NASAもLENRに関心を示しており、2022年の報告書で「実現すれば輸送分野に革新をもたらし得る技術」と言及しています​。NASAは常温核融合のヒントを得て「格子内核融合 (In-Lattice Confinement Fusion, LCF)」という新手法を研究中ですが、これは高速の重水素粒子と中性子を必要とするため実質的には熱核融合であり常温核融合そのものではないとされています​。民間では、Google社が2015~2019年頃に約1,000万ドルを投じて複数の大学(MITやローレンス研など)の科学者に精密な再評価実験を依頼し、その結果を2019年にNature誌に報告しました​。結論として「明確な核融合の証拠は得られなかった」が、副次的に新素材開発などの知見が得られたとされています​。他にも米国では大小のスタートアップ企業がLENR技術開発を標榜して資金集めを行っており、前述のブリルアイン・エナジー社やインダストリアル・ヒート社(ロッシ氏の技術に投資した会社)などが存在します。総じて現在、米国が官民でLENR研究を再加速させリードしつつある状況と言えるでしょう​。
  • 日本: 日本は1989年の発表当初からこの分野に関心を示し、通商産業省主導で1993年に「新核融合エネルギー(常温核融合)研究部門」を設けて基礎研究を支援しました。しかし期待された成果が得られず政府主導の大型プロジェクトは1997年に終了し、その後多くの企業も研究から撤退しました​。それでも一部の企業や研究者は独自に研究を継続し、成果を積み重ねています。三菱重工業の岩村康弘氏のグループは元素核変換の実験で世界をリードし、2014年には「少ないエネルギーで元素の種類を変える基盤技術の確立」に成功したと日経新聞で報じられました​。またトヨタグループの豊田中央研究所もニッケルなどを用いた元素変換研究を続け、一定の成果を上げているとされています​。学術面では大阪大学の高橋亮人氏や神戸大学の北村晃氏のグループが中心となり、2008~2009年に先述の荒田法の再現実験に成功し国際誌に発表しました​。さらに2015年には東北大学にクリーンプラネット社との共同研究部門(凝縮系核反応研究部門)が設立され、産学連携で実用化を目指す動きが出ています。この部門には東北大学や元三菱重工の研究者が集い、国家プロジェクトではないものの国内初の大学拠点として注目されました。行政の直接支援は現在ありませんが、NEDO(新エネルギー産業技術総合開発機構)や元素戦略プロジェクトの一環で副次的にLENR関連研究に助成が及ぶケースもあります。日本は過去の経緯から表立った研究は少ないものの、水面下では企業OBやベンチャー主体で研究開発が進められている状況です。国際会議ICCFには日本からも継続的に報告があり、現在も一定のプレゼンスを保っています。
  • ヨーロッパ: ヨーロッパ各国でも常温核融合研究は細々と続いてきましたが、近年いくつか大手企業やEUプロジェクトが参入し始めました。フランスの航空機大手エアバス社は社内研究としてLENRの可能性評価を行い、特許出願や論文発表を行っています​。また半導体大手のSTマイクロエレクトロニクス社(スイス)はイタリアの研究者らと組んで実験的研究を進めています​。イタリアは常温核融合研究の中心地の一つで、政府系研究機関ENEAや原子核物理研究所INFNが1990年代から継続的に研究を支えてきました​。ボローニャ大学など一部大学でも研究が行われ、ロッシ氏のE-Cat検証実験には大学教授が関与した例もあります(もっとも結論は出ていません)。欧州連合(EU)も注目しており、2020年から計1,000万ユーロ規模の4年計画プロジェクトとして「水素-金属系からクリーンエネルギーを得る研究」「画期的な無排出熱生成」など2件の国際共同研究をスタートさせました​。これにはイタリアやフランス、ロシア、イスラエルなど複数国の企業・大学が参加し、触媒材料の開発や理論モデリングを含め包括的に検証する計画です。ヨーロッパではこのようにEUプロジェクトや企業主導で研究開発が進み始めており、国際会議ICCFも度々欧州で開催されています​。イギリスにはISCMNS(国際凝縮系核科学学会)の本部が置かれており、欧州の有志研究者ネットワーク形成にも一役買っています​。
  • 中国・ロシアその他: 中国でも比較的早い段階から常温核融合研究が行われ、2011~2014年には国家自然科学基金(NSFC)の主任基金プロジェクトとして「重水素凝集相における異常現象の実験と理論探索」というテーマが採択されました​。詳細な成果は公表されていませんが、中国科学院や清華大学などで基礎研究が行われたとみられます。近年は中国メディアでもLENRがクリーンエネルギー候補として紹介されることがあり、中国国内での研究再開の可能性も取り沙汰されています。一方ロシアでは、1990年代に幾つかの研究グループが独自の実験(例えばチタンに重水素ガスを吸収させたときの発熱報告など)を行っていました。近年、ロシアの研究者パルホモフ氏がロッシのE-Cat装置を模倣した実験で高温下のNi-H反応を試み、微量の余剰熱とヘリウム生成を主張するなどの動きがありましたが、国として大規模な計画は確認されていません。インドは1989年当初BARC(バーバ原子力研究センター)が積極的に再現実験を行いトリチウム検出を報告しましたが、米国などの否定的見解を受け公式研究は中止されました​。その後2008年に政策提言がなされましたが、実質的な研究再開には至っていません​。総じて、中国やロシアでも点在的な研究はあるものの、現状リードしているのは米欧や日本の民間グループといえます。

以上のように世界の研究動向を見ますと、米国が政府資金投入により再参入し、欧州も企業・EUプロジェクトで追随、日本は民間主導で粘り強く研究を継続、といった図式になっています​​。どの国も決定的なブレイクスルーには至っていませんが、各国の研究者が国際会議(ICCF等)で情報交換し合いながら知見を蓄積しています​。特に米国のARPA-Eプロジェクトは今後数年で「常温核融合現象の実験的な真偽」について一定の結論を出すことが期待され、結果次第では各国の姿勢にも影響を与えるでしょう​​。いずれにせよ、常温小型核融合炉の実現に向けた研究は依然途上段階であり、世界的には少数の熱意ある研究者・機関がリスクを取りながら牽引しているのが実情です。しかし近年の脱炭素ニーズやエネルギー安全保障への関心から、その動きは以前より活発化しており、各国政府や大企業も慎重な期待を込めて注目を始めた分野となりつつあります​​。

投稿日時: 2/1/57094, 1:10:00 PM

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